2025.10.04
先生から
昭和区の皆様こんにちは。
明倫ゼミナール御器所校です。
先日、学生時代の恩師と久しぶりに連絡を取る機会がありまして。
学生時代はその先生のことを「変な先生だよなあ」と思っていた(今も思っている)のですが、
今考えると、考え方なんかは自分もかなり影響を受けているように思います。
(ということは、自分も変な先生だなあと思われている可能性があるということですね…)
彼は社会の先生だったのですが、
授業中に教科書を使わず、板書も一切しない方でした。
その代わりにいつも何か小道具を持ち歩いていて、
いつ見てもシルエットが社会科の先生らしくない。
授業はさながら漫談のようで…というのは比喩ではなく、
今でも忘れませんが、
江戸時代の元禄文化についての授業では、
いつも通りの脱線から、上方落語の話に繋がったかと思いきや、
徐に教壇から上方落語特有の張扇が出てきて、そのまま一演目やり切った授業すらあったほどです。
先生のサゲは堂に入っており、我々も拍手せざるを得ない盛り上がりを見せました。
(さすがに後ですごく怒られたそうですが)
本当に自由な方で、授業を受ける我々は、
社会の授業でなぜか古典落語や言語学について詳しくなっていく。
なんならもっと役に立たないような知識も増えていく。
それでいて、いざテストを受けるとクラス平均が学年の中でも有意に高い。
今でこそわかりますが、生徒を引き付けるのが本当にお上手な方だったのですね。
当時の彼の言葉を、最近よく思い出します。
曰く、「教養は人生の解像度を上げるレンズである」。
あるいは、「教養は世界を切り取るナイフである」とも。
教養があればこそ、それを通して見る世界の鮮やかさに気づく。
教養があればこそ、世の理、本質に刃を入れて触れることができる。
もっと知りたいと思えるようになる。
そんなようなことを、折に触れて話していらっしゃいました。
辞書を引くと、教養とは「学問、知識などによって養われた品位」とあります。
品位、と言われるとちょっとドキッとしますが、やはり基礎学力は大事ですね。
とはいえ、基礎学力はあくまでも基礎、土台です。
その土台を鍛えるのが皆さんが今している勉強であり
鍛えた土台の上に何を築くか?が皆さんの今後の人生に委ねられている部分です。
土台の上に築いた部分が、「教養」というわけですね。
基礎学力や品位のともなわないものを、我々は教養とは呼びません。
それはただの「雑学」です。
ぜひ皆さんには、知っているだけではなく、ただの雑学でもなく、
深い知性と品位を感じさせる、そんな大人に育っていただけると嬉しいなと、
心から思います。
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